

眼差しは空を彷徨う
「あの娘は学校に嫁入りしたようなもんだったねぇ」
いつもは元気に言葉もハキハキと喋られる89歳の背中はとても小さく、力なく言葉を絞りだし、何もない空間をその眼差しは見つめていた。
仙台市宮城野区に住んでいる小沼さん(仮称)は平成23年3月から毎週一回のペースで体の治療をしている元気な老婦人です。
ご自分の縫製会社を若い頃から経営をされていて、今現在は会社こそ整理しましたが89歳という年齢になった今でも、オリジナルのスーツやドレスなどのオーダーメイドの服を生地選びからデザインまで、お客さまの要望通りに仕立てる服を作る職人さんです。
性格は竹を割ったようにサッパリと豪胆で明るく、世話好きでちょっぴり独りが怖いという、とてもキャラの濃いご婦人です。
小沼さんは自らが以前に心臓病を患い大手術の末に助かったことを記念に、医者と患者の連携を密にする為の非営利の会を立ち上げて、長年その理事などを積極的にされていたり、地域のお祭りなどの中心人物として踊りの稽古をつけたり、料理の準備をしたりする献身的でパワフルな活動をされています。
治療もやぶさかではなく「凄い方だなぁ」といつも思っていました。
教職員の望美さん
小沼さんには高校の教職員をしている娘がいました。名前を望美さん(仮称)と言います。
東北大学で地質学や鉱物学、海洋学などの専門分野の研究を継続的にしていて、日本中に大学教授などのお仲間がいたり、海外にも幾度となく足を運んでいた、まさに親譲りの行動力を持った、心優しい笑顔が印象的な方です。
何度となく仙台市内から遠くの村田町まで、治療を受けるためにお母さんとそのお友達を車に乗せて送迎をしてくれていたのです。
その望美さんが今年の7月21日の土曜日に62歳で他界しました。死因は肺癌による呼吸器不全でした。
入院先の病院から自宅への帰宅を許され、五日後に多くの大切な人たちに見守られながら、穏やかに息を引き取ったそうです。
私は人を見る目には結構自信がないのですが、この望美さんのハツラツとして曇りのない公正なお顔を見るたびに「きっと素晴らしい先生なんだろうなぁ」と感じていました。
見つめる先はちょっと先の未来
不思議なのですが僕には何故か望美さんの視線が私の顔を通り抜けて、50cmくらいの後ろを見ているような感覚がありました。「この方は人を文字通り見つめるのではなく、その人の抽象化した前後の文脈みたいな部分を見ているのだなぁ」という感じを受けていたのです。
常に生徒想いで、土曜も日曜日も学校へ行っては受験を控えた、担任でもない学生たちに勉強を教えに行っていたのを私は聞いていました。
その分かり易い教え方が故に、課外授業を受けた生徒たちの成績がみるみる上がり、一流大学に合格した実績の噂が噂を呼び、生徒たちからお願いされる形で何年間も無償で週末に勉強を教えていた素敵な先生なのです。
自分の顔に責任を持つ
その人柄はやはり表情というかお顔に出るものです。第16代アメリカ大統領リンカーンの有名な言葉に「40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」という言葉があります。
先ごろ別な方ともそのようなお話をしたのですが、とりわけ望美さんは「自分の人生に迷いなく生きている」という強いメッセージが顔に出ていた方でした。
直接の患者さんではないので多くを語ることはそれほど無かったのですが、一番近くにいるお母さんが娘の望美さんに対して、学校の先生という職業を心から愛して生徒たちと真心で接している”1人の人間”に嘘偽りなく尊敬と敬意の念を抱いていたのです。
1から10まで学校のこと、生徒のこと、学校に誰よりも早く行き誰よりも遅く帰ってくる、全ての発想が学校のことから始まる、ここまで身も心も捧げている人は中々居ないと私に度々話してくれるのです。
その多忙さの故なのか生涯独身で過ごされましたが、小沼さんは常々冒頭の言葉「学校のお嫁さん」というフレーズを皮肉などのニュアンスではなく、幸せそうに、または羨ましそうに、私に語っていたのです。
そして一昨年に無事に定年も迎えたのですが、学校側からの強いオファーがあり定年退職した身でありながらも学級担任を受け持ちながら、生徒のために奮闘されていたのです。
望美さんは約2年前に乳がんを患いましたが転移に備えて、腋窩(脇の下)のリンパ節なども広く切除して、定期的に病院の検査なども受けていたのですが、とても残念な結果になってしまいました。
1ヶ月前には車を運転して約32km離れた村田町に母親たちを送迎していた方が亡くなってしまうという現実を目の当たりにしました。お付き合いが長いということもあり妻は泣いていました。
命の価値とは
人間の価値を考えたときに一つ言えることは、命の価値は決して長生きしたから良い訳ではなく、短命だったから悪いという尺度はありません。
私は10歳の時に妹が風邪から肺炎を患い、3歳でこの世を去りました。私は妹が長く生きることができなかった分も、精一杯人生を生きていかなくちゃいけないと節々でよく思うことがあったのです。
人は心の目指すところに向かって生きているものだと私は思います。心が向かうところが志であり、それが果たされるのであれば、命が絶たれるとしても決して恐ろしいものでは無いと思えるのです。
直木賞小説「蜩(ひぐらし)の記」でも同じようなことが描かれていました。
私は以前に「時代もの」小説を読んでいた時期がありました。「時代もの」とは徳川家康が江戸に幕府を開いた1603年頃から、江戸城が明治政府軍に明け渡される1868年頃までの265年間を時代背景にした小説の事を言います。
そこに描かれている主役はほぼ武士です。もちろん物語なので多少の脚色があったり派手な演出もあるのですが、武士の生き様、強さ、潔さ、清廉さ、真っ直ぐさなどに心を惹かれるのは私だけではないはずです。
不謹慎な物言いを承知の上で申し上げますが、私は望美さんの訃報を受けて真っ先に思ったことは、武士の立派な死に様のように、本懐(ほんかい)を遂げられたんじゃないかなぁと思ったのです。
本懐を遂げる
「本懐を遂げる」とは現代的にいうと、本当の願いを叶えるとか目標を達成する的な意味になると思います。残された高齢の小沼さんを思えば、あまりにも残酷で辛い現実なのですが、人は遅かれ早かれ死ぬ事からは逃れることはできません。
覚悟を決めて何かに生きている人間において必要としているものは、ある意味で死に場所だとも言えると私は思います。居場所であり死に場所です。
居場所が無ければ出て行って自分の居場所を見つけなければいけないし、見つけたならそこで花を咲かせなければいけません。
その意味で望美さんは最後まで学校に尽くし、生徒に尽くし、母親の健康に尽くし、自分の体調を心配させないように最善の配慮を尽くされて逝かれました。
もちろん年老いた母親1人を残して先に逝くことの無念さは推し量るまでもありませんが、どんな死に方にも多少の未練や愛惜の念はつきまとうものが世の常です。完璧などはありません。
人を大切に思うことができる人
問題は「人を大切に思うことができる人」なのかどうかです。望美さんは私が見る限り、話を聞く限り、身近な人から多くの人々まで、私心を越えて相手のためを優先実行できる正に「公職者」と呼ぶに相応しい人だったんだと思います。
9月8日土曜日に出張治療に伺った時には、前日の7日が没後の49日だったために納骨が終わっていて、立派な祭壇も片付けられていました。お通夜や葬儀、各法要日に限らずに学校の先生たち以上にお世話になった自覚のある300人以上の生徒が連日訪れていて、泣いたり花を手向けたり、小沼さんに望美さんの色々な思い出話を聞かせてくれているようです。
「人を大切に思うことができる人」は信用できる人です。大切にされた側はそれが本物か偽物かはすぐに分かるものです。
真剣とは元々、侍の刀のことです。遊びではなく本気な人なのか、表面を繕っている人なのか、信じれるのか、信じれないのかという究極的にシンプルなことです。
でもシンプルなことは時に難しく、私もできていないことが実に多く、日々反省しながら生きています。
花を咲かせる人生
私の未熟で希薄な魂も、この様な関わり合う多くの人たちによって考えさせられ、耕かされ、気付かされながら成長していくのでしょう。
生と死はその周りに集う多くの人々の心に、大切な何かを伝えることができたり、思い出させてくれたり、または進路変更をさせることができるエネルギーがあるようです。
望美さんと学校という場でご縁を持ち、そのブレのない真剣な意志を受け継ぎ育っていった多くの生徒達は、これから大人になるにつけ、その立派な生き様を思い出すことでしょう。
そしてきっと立派な花を、可愛い花を咲かせてくれるはずです。
心からご冥福をお祈り致します。
2 コメント. 新しいものを残す
今日も素敵なお話ありがとうございました😊
死とは、寂しく悲しい出来事であるけれどその方が残していった思い出や足跡は消えることはないんだと思います。亡くなってから初めて魂で対話できてるのかもしれないなと友人が亡くなった時に思いました。亡くなってからもメッセージは届きます。先生が今回思い出されてその方のことを語るということは、既に先生になんらかのメッセージが届いたのかもしれませんよね😊生きてる亡くなってるとは関係なく、私たちはいつでも大切な人と魂がつながっているんだなと思うと、一期一会大切に生きたいなって思いました。素敵に生きた望美さんのご冥福お祈りいたします。
いつもありがとうございます。
shigemiさんのコメントを毎回楽しみにしています。残されたお母さんの体調や身の振り方など現実的な色々な問題もありますが、学びながら協力しあいながら、ご縁のある人と一緒に前に進んでいきたいですね。